グレタさんの罪

グレタ・トゥーンベリさんは大きな罪を犯している.

中高年男性である私がこんなことを言うと,年長者・男性優位をあくまでも守りたい「小物」の烙印を押されてしまいそうだが,

「グレタ・トゥンベリは生理的にムリ」と話すオジサンの主張 中年男性が嫌悪する「物言い」の是非 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

そういうことじゃない.

BS朝日SDGs on the Web » 【放送情報】「私の声ではなく、科学に耳を傾けてほしい」

彼女が科学者の言論の自由を奪う流れを作っているからだ.「地球温暖化の原因は,人類の活動に起因するCO2である」という命題を是とすることが「科学的」なのではない.肯定でも否定でも先入観なく自由に議論することが科学的な態度に違いない.

 

その態度を捨ててしまったら人類の進歩は止まる.地球が温暖化しているというなら,それを解決する方法も見つからないかもしれない.

 

物事を進めるには,とりあえず,その命題を是とするか否とするか決めなければならないが,それはあくまでも政治の話.科学じゃない.

国債,大丈夫かねえ

赤字国債をいくら発行しても貸し手は国内の投資家や銀行なんだから問題ないとはよく言われる.国のバランスシートでは資産と負債が同額で並ぶことを指摘して「ほら,大丈夫でしょ?」という.
 
いくら金融の素人でもそれは分かる.分からないのは,それが本当に健全なのか?だ.
 
毎年,赤字国債を発行すると,ばらまかれたお金は市中に回り,結局は銀行の預金となる.と同時に銀行の資産に国債が同額だけ積みあがる.確かに借金と資産のバランスはこれで取れている.そして,国債は市場で流通しっぱなしなら特に問題は起きない.
 
けど,銀行が勝手に預金と国債を酸と塩基みたいに中和できるわけではない.つまり国債が粛々と市場で流通すると言っても,(素人的には)通常の万札とは別系統のお金が毎年30兆円も刷られているようなもんだ.
 
とはいえ,赤字国債の発行を止めたら,その分だけGDPが減るしね.触らぬ神にたたりなしみたいな感じじゃないのかなあ.
 
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後日追記:
流通している国債日本銀行が買い上げることはできるそうだ。(調べてから書くべきでした)となると実質的には国債分のお札を刷っているのに限りなく近い。う~ん。

創造的な日本人

57年ぶりの東京五輪、「日本は韓国の相手にならないほど没落」と韓国メディア=韓国ネットにも厳しい声(2021年7月21日)|BIGLOBEニュース

 
こういう記事があった。私は韓国という国を好きではないが,そういう感情論は抜きにする。それでも韓国人はイノベーションの意味を分かっているのかな?と思ったので述べてみたい。
 
スマートフォン,OELD,半導体モリーなど,韓国メーカーが日本を凌駕している分野は多い。曲がるディスプレイも素晴らしい。ただいくら素晴らしくても革新的ではない。例えば,曲がるディスプレイはディスプレイの在り得べき姿として誰もが思い描いていたものであって意外性はない。
 
では日本は?
東京オリンピックの頃に開業した新幹線。新幹線の技術はそれ自体当時の最先端ではあっただろうが,ポイントはそこじゃない。高速鉄道を国の根幹に据えるというところが新しかった。このコンセプトが中国において近年花開いているのは周知の事実だ。ウォークマンは音楽を個人に携帯させることで,生活スタイルを変えた。バブル崩壊後の冴えない状況においてさえ,すぐに思いつく限り,液晶ディスプレイ付きデジタルカメラ,カメラ付き携帯電話,QRコードフラッシュメモリがある。
 
このどれについても,重要なのは,技術的な難易度が高いかどうかではなく,世界に不連続的な変化をもたらしたということだ。民生用デジタルカメラは,カシオのQV-10が何となく最初という感じがするが,実際にはそれよりも前にアメリカ企業のDycamがあった。ただ,QV-10は液晶と組み合わせたところが決定的に新しかった。QVシリーズはレンズを回転させて自分を映すことができた。まるで20年後の自撮り文化を予見しているようで,その想像力は神憑っているとしか言いようがない。携帯のカメラはどうだろう?これによって,今や世界に何十億個というカメラがばらまかれることとなった。QRコードフラッシュメモリについてだって言うまでもない。
 
それに引き換え韓国メーカーはどうか。ソウルオリンピックからすでに30年以上が経過しているが,世界を変える製品は一つも出て来ない。これでは,一般的な意味でも,リンク先のニュース記事の意味でも「創造的」とは言えず,ただただ,人が良いと言う物を逸早くものにして,正確に大量生産しているだけだ。詰まらない優等生の典型ではないか。
 
「日本人には創造性がない」という命題を日本人自身が肯定してきた歴史がある。しかし,中国や韓国など優秀な人材が豊富に存在する国でさえ,ついに革新を生じさせることなく,高度成長期を通過してしまった,という事実により日本人の豊かな創造性が浮き彫りになった。
 
ただ,心配なのは,この10年間,上記のような意味での日本初の革新的技術が生まれていないことだ。この点は件の記事の指摘の通りかも知れない。なぜ,「日本人には創造性があるのか(あったのか)」ということを深く考える必要がある。それも懐古的な意味ではなく。なぜなら,戦中派から見ればとっくに堕落しきった日本人こそが多くの革新を成し遂げたのだから。

サイコパス学園

「科学」,「人権」,「命」が現代国際社会の至上の価値として位置付けられており,これら錦の御旗を取ることが現代の世界を動かす常套手段だ.慰安婦事案も典型例の一つ.

 

記事:「ベルリンの「平和の少女像」を巡る騒動 その「温度差」について考えてみる」
https://globe.asahi.com/article/13866337
--引用--
戦時中に女性が受ける性暴力についてドイツでもじゅうぶんなスポットは当てられてきませんでした。だからこそ近年は「過去、現在を問わず戦争中に性暴力の被害に遭う女性たち」のことを記憶し、屈託のない少女時代を奪われ苦悩あふれる人生を歩まざるを得なかった女性達全員に思いを馳せることに賛同するドイツ人が多いのです。そういった背景もあり少女像の設置に積極的な考えを持つドイツ人が少なくありません。
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日本人として,女性の人権を蹂躙することを肯定する気は1mmもない.しかし,かつての日本が何十万人もの朝鮮人を日本が性奴隷としたことが事実かどうかを(韓国人の言うことを鵜呑みにするのではなく)検証することは,人権擁護と矛盾しない.それどころか正しい歴史認識に基づかなければ正しい反省はできない.だが,ドイツ人にはそんなことはどうでも良いらしい.美しい価値観に目がくらむ人がなんと多いことか.

 

現代においては,美しい価値観をできるだけ大きな声で理路整然と語ることが,国が生き延びるために死活的に重要だということだ.まさに日本人の苦手とするところだが.残念なことに実質的な善は,「科学」,「人権」,「命」といった至上の価値と分かりやすく結びついていないと評価されない.特に欧米人には.

 

だから,政治家は世界に向かって綺麗事を主張しなければならない.ただし,自分の言葉に酔って自分の首が締まらないように,あくまでも実利を取るための外面であるという認識が重要だ.そういうバランス感覚をある種の養成機関で身に付けるようにしてほしい.それをあえて「サイコパス学園」と言ってみたという次第.

島田紳助

枕営業の告発をされたことは,もうあまり話題に上らなくなった。でも思い出したので,島田紳助のことをつらつらと書きたい。ファンでもアンチでもなく,少し嫌いという程度。

 

古い話だが,自分にとっては,紳助の人間マンダラ

紳助の人間マンダラ - Wikipedia

という番組が彼を象徴している。この番組の「愛のデートマンダラ」というコーナーは,「モテナイくん」と呼ばれる風采の上がらない男性が彼女を作ろうと奮闘する様子を面白おかしく取り上げるという内容だった。テレビの力を借りて街でナンパさせるところから始めて,何とか会話に持ち込ませるのだが,上手くいくはずがない。無論,上手くいかないことを見越してお笑いに変えているのだった。多分,斬新な趣向だったと思う。まだ半分子供だった私は何回かは単純に喜んで見ていたものの,自分自身が色々と経験を積むにしたがって,心に引っかかる部分が膨らんだ。

 

「モテナイくん」には,一風変わった人が目に付いた。女のマネキンに服を着せる(脱がせるだったか?)という気持ち悪い芸を披露する人もいた。高学歴かつ変人である場合も多かった。その方が揶揄しやすいので積極的に採用したのだろう。

・・・なぜのこのこ出演しに来たのか,というのは謎だが。

 

紳助の考えでは,彼らは親に甘やかされてきたからそうなった,とのことだった。高学歴の場合は,それにプラスして勉強だけさせられて良い子良い子されてきた,という感じか。紳助がプロデュースしたモテナイくんの歌にそういう歌詞があった。

 

変人を変人として面白がるのならまあ許せるというか私は好きなのだが,生い立ちまで勝手に想像して馬鹿にするのはどうか。(率直に言ってアスペルガー症候群的な傾向が見られたので,そうなったのは教育の問題ではないだろうし,現代なら面白がるだけでも許されないだろう。)

 

共演していたオール巨人(※)や掛布が紳助の考えに同調して盛り上がるのが,如何にも醜悪だった。「男は厳しく世間にもまれてこそ一人前」・・その考えは一理あるが,自分たちをそういう意味で上等の方に位置付けて,事実かどうかも分からんのに言いたい放題ってのはいじめの構図だ。大体,世間にもまれてもモテるようにはならないのに,論点がずれている。

 

紳助のそういう考え方は,オール巨人や掛布と言った大御所には抗し難かったと思われる。「世間の荒波に打ち勝って成り上がった」ということが,確実にアイデンティティの一部なのだから。そこをくすぐって,大御所たちを手玉に取り,手玉に取っているということを広く知らしめることで,子分をも従えて番組を独裁する,ということをやってのけていたわけだ。

 

国際政治の舞台で活躍して欲しかった気はする。つい悪に手を染てしまい,結局は大物にはなれないのかも知れないが。賢くてある程度成功するものの,何か深層心理がリミッターを掛ける感じがする,という人だ。すでにそうなっているしね。

 

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と,ここまで書いてきて別の番組を思い出した。確か沖縄かどこかの離島で若手芸人を引き連れて何かをやるという企画だったのだが・・・あまりにも曖昧なので調べてきまらこれだった。

紳助の「プロデュース大作戦!」目玉企画 宮古島の民宿「夢来人」存亡の危機 - ライブドアニュース

これも何回かは見た。企画の趣旨は実益のあるものだけど,それとは別に,いい加減なことをやらかした若手芸人をこっぴどく叱責し,良い話の説教をして泣かせ,這い上がってこさせるという,美談風の場面があり,多分,こういうところが見どころだと思われた。

 

このパターンは,もっと昔に彼が監督をした「風、スローダウン」

風、スローダウン - Wikipedia

という映画のメイキング映像にもあった。確か西川忠志西川きよしの息子)が「お前いつまでもボンボンとか言われて悔しないんか」という意味の事を言って奮起させたり,スタッフを叱責して映画を真剣みのあるものにしたりというところが印象に残っている。

 

人情味のある教師役というのが,若いころに確立した定番スタイルなわけだ。しかし,近年では,「一旦,突き落とす」という部分がパワハラ的と取られる可能性が高い。実際,ブラック企業の洗脳の手法でもある。芸人が太っていることを自らを笑いにしている場合でさえ,それをイジることを批判される風潮になったのは,紳助の予想を超えていたのではないか。早めに引退して良かった。

 

※後日調べたら同期だった.なんだ.内輪か.

中国に接収されたら

森永卓郎氏が,
--以下引用--
「私は丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄し非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればいいんじゃないかと」[57] と発言している。
--引用終わり--
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%B0%B8%E5%8D%93%E9%83%8E

という発言をしていたというのが,最近少し話題になった.彼ほどの左翼でなくても,中国に飲み込まれることを前提として,頭の中身を今の内から中国シフトしようと思っている人も多い(というかうっかり自分もそう考えそうになる).でも侵略されたらどうなるか,政治に疎い私なりにシミュレーションしてみる.とりあえずマイルドバージョンで.

 

(1)侵略~占領初期
国土が荒廃するような大規模な戦闘は起こらないのではないか?日本にはすぐれた生産設備や(部下としては) 使いでのある人材が多数いるし,一応,世界に対して「侵略ではない」という強弁ができる程度にはしておくかもしれない. そして,従来の統治者を駆逐するまでは大衆の支持があった方がスムーズなので,手荒な真似はしない.でも,本土以上の監視体制は敷き,国外移住はほぼできない,という感じで始まる.

(2)初期~しばらく
大企業には共産党幹部が役員に入り込み,社員は共産党に入るがどうかの踏み絵を踏まされる.党員への露骨な優遇がなされる.おもに党員以外に対して大規模な解雇がある.しかし,党員になったら安泰かと言うとそうでもなく,面従腹背が通用しない.共産党による統治に大なり小なり協力させられ(スパイのようなことなど)て,魂を売ることになり,時間と共に日本人の間に深刻な分断が生じる.共産党に反対する者をあぶりだして「教育」し,逆らえないようにしていく.

(3)数十年先
同化政策がとられる.中国語が公用語となり,日本語は公的な場面では使用されないように仕向けられる.学術的な文書でも第一に中国語,第二に英語となり,日本語は高度・正確・論理的な表現力を失っていくので,日本人としての歴史も保存されない.その過程で時々起こっていた暴動も自然消滅する.歴史教育では,かつて日本の一地方勢力が「漢委奴国王」とかいう金印を授けられたことを根拠に,日本は有史以来中国の属国どころか,自治州だったというように歴史が書き換えられる.

 

森永氏の言うように,平和主義の心優しい民族だったと言う声が一部には出るだろうけど,歴史の流れの中では,決してそのようにならない.誰が語り継ぐというのか?語り継ぐためにはユダヤ人のようにタフになる他ないが,果たしてそれもできるんか怪しい.

森さんって・・・

オリンピック委員会の森さん、また深刻な失言してしまいましたね。
(このページの下部の全文と言われるものを引用しています)
 
ここからはかなりの部分憶測なのだが、
森さんという人は、浅田真央さんの一件しかりで、現象論に殊更注意が行く人だと思う。
 
架空の話だが、例えば、自分の講演会に黒人の参加者がたまたま多かったとする。場を温めようとして「今日は黒人の方がたくさんらっしゃいますので、少し暗い(文字通り照度が)ですな。ワッハッハ」みたいなことを言いそうなのである。まあ、現象論的に間違っていないけど、わざわざそこに着目する?!という感じか。
 
あるいは、仮に森さんがアイスクリームの移動販売をしたとする。例えば雨の日には理由は不明だがアイスクリームがよく売れるという法則を発見して、一儲けしてしまう、みたいな感じかも知れない。ある意味、有能で憎めない奴という位置付けでのし上がったのだろう。左脳より右脳が勝っている感じとも言える。
 
さて、今回の失言は
(1)女性を十把一絡げに貶めた
(2)意志決定のおおよそは会議の前になされていて会議はシャンシャン、という談合体質
にまとめられると思う。(1)はよろしくない。
 
しかし、私は(2)については懐疑的なのである。これがまるで日本独特の旧弊みたいにも言われるが本当にそうなのか?オリンピックみたいにたくさんの関係者の複雑な利害が、公明正大な会議だけでまとまるような気がしない。
 
実際、散々調整した後、微妙なバランスの上に会議を開いているのだろう。森発言の最終段落(下線付き)にあるように、そのプロセスは国際的な場数を踏んで初めて理解できるもののようだ。そして、仲間と目される女性については、「みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです」と高く評価している。
 
だが、委員会によっては、そうでない女性理事が多く、森さんは無能と評価しているのだろう。つまり「無能な女性理事」が多いのであって、「女性理事といえば無能」とは言えないわけだが、現象論的にはどちらも同じことになっていた、というのが森さん周りの環境としては妥当なところと思う。
 
問題になった部分:「誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです」
 
で連想するのが、テレビのコメンテーターである。番組が同じなら何人いても同じことを言う場合がある。今なら、森批判だろうか。結論は女性差別けしからんで同じでも、少しでも気の利いた言い回しの競い合いになる。こういう人は頭はいいのだろうが、実務レベルでは何もやっていない。
 
まあ、日本では、女性が出世するために、
偏見に耐えて実務をこなすか、格好良いことを言って頭の良さをアピールするか、の二択になっているらしい。これは大いに問題だ。
 
 
 
-------森発言全文-------
 
これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。
 
 女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。
 
 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。