創造的な日本人

57年ぶりの東京五輪、「日本は韓国の相手にならないほど没落」と韓国メディア=韓国ネットにも厳しい声(2021年7月21日)|BIGLOBEニュース

 
こういう記事があった。私は韓国という国を好きではないが,そういう感情論は抜きにする。それでも韓国人はイノベーションの意味を分かっているのかな?と思ったので述べてみたい。
 
スマートフォン,OELD,半導体モリーなど,韓国メーカーが日本を凌駕している分野は多い。曲がるディスプレイも素晴らしい。ただいくら素晴らしくても革新的ではない。例えば,曲がるディスプレイはディスプレイの在り得べき姿として誰もが思い描いていたものであって意外性はない。
 
では日本は?
東京オリンピックの頃に開業した新幹線。新幹線の技術はそれ自体当時の最先端ではあっただろうが,ポイントはそこじゃない。高速鉄道を国の根幹に据えるというところが新しかった。このコンセプトが中国において近年花開いているのは周知の事実だ。ウォークマンは音楽を個人に携帯させることで,生活スタイルを変えた。バブル崩壊後の冴えない状況においてさえ,すぐに思いつく限り,液晶ディスプレイ付きデジタルカメラ,カメラ付き携帯電話,QRコードフラッシュメモリがある。
 
このどれについても,重要なのは,技術的な難易度が高いかどうかではなく,世界に不連続的な変化をもたらしたということだ。民生用デジタルカメラは,カシオのQV-10が何となく最初という感じがするが,実際にはそれよりも前にアメリカ企業のDycamがあった。ただ,QV-10は液晶と組み合わせたところが決定的に新しかった。QVシリーズはレンズを回転させて自分を映すことができた。まるで20年後の自撮り文化を予見しているようで,その想像力は神憑っているとしか言いようがない。携帯のカメラはどうだろう?これによって,今や世界に何十億個というカメラがばらまかれることとなった。QRコードフラッシュメモリについてだって言うまでもない。
 
それに引き換え韓国メーカーはどうか。ソウルオリンピックからすでに30年以上が経過しているが,世界を変える製品は一つも出て来ない。これでは,一般的な意味でも,リンク先のニュース記事の意味でも「創造的」とは言えず,ただただ,人が良いと言う物を逸早くものにして,正確に大量生産しているだけだ。詰まらない優等生の典型ではないか。
 
「日本人には創造性がない」という命題を日本人自身が肯定してきた歴史がある。しかし,中国や韓国など優秀な人材が豊富に存在する国でさえ,ついに革新を生じさせることなく,高度成長期を通過してしまった,という事実により日本人の豊かな創造性が浮き彫りになった。
 
ただ,心配なのは,この10年間,上記のような意味での日本初の革新的技術が生まれていないことだ。この点は件の記事の指摘の通りかも知れない。なぜ,「日本人には創造性があるのか(あったのか)」ということを深く考える必要がある。それも懐古的な意味ではなく。なぜなら,戦中派から見ればとっくに堕落しきった日本人こそが多くの革新を成し遂げたのだから。