ルッキズムと私

ルッキズムとか反ルッキズムとかうるさい世の中になってきました.
 
勝手な認識だけど,どっちも米国からじゃないだろうか.自分が子供時代を過ごした1980年代は「人を見た目で判断してはいけません」という道徳観が一応あり,好きな異性を報告するとき(仲間内であったり,担任の先生による調査であったり,それなりにそういう機会はあった),可愛い女の子を可愛いからという理由で発表するのに若干の躊躇があったのを覚えている.一方,斉藤由貴南野陽子のどちらが好みか,などと芸能人に対しては,露骨に容姿を評価してもいた,という微妙なバランスの上に生活していたと思う.それがベストかどうか,はともかく.
 
それが,米国と少しばかり繋がりのあるビジネスマンから「アメリカでは太った人は出世できない.なぜなら自己管理ができないとみなされるから」という話を聞いたり,大統領にはファッションのコーディネーターがついている,とか,とか,人は人を結構見た目で判断するという心理学的事実を米国人らしく馬鹿正直に利用することに一種のすがすがしさを覚え,その見た目も無論ファッションだけでなく顔とか体形も含みつつ,見た目重視で無問題な価値観を少しずつ増強し,つい数年前まで来た・・・と認識している.
 
でも大陸の人ってなぜか極端に走る.痩身信仰に疲れ果てた米国人の末路がこれらしい...
それとか,以下のも最近話題になった.こっちはLGBTQおよび人種マターがより濃厚に入っているため,もう一段複雑ではありますが.少なくとも<いわゆる役のイメージ通りの>美しい人ではない.
もはや,映画やドラマで直球の美男美女が活躍することはなくなっていくのでしょうか?でもポルノだけは例外だろう.
 
となると,伴侶に一般に言う良い容姿を求めることは,最早ポルノなみに下衆なことだと見なされるようになるかも.しかし,セックスという理性から遠い行為において,反ルッキズムみたいな「高尚な」価値観がどれほどの行動変容を引き起こすだろうか?
 
そこで思い出すのが,かつてのオウム真理教におけるダーキニーだ.
宗教的信念が強ければ,麻原みたいなムサイ男とも性交が可能といういことだ.極論ぽいけど,反ルッキズムが宗教にまで高まれば良いのかもね.なんか全然,ブサメンやブスにとって嬉しい話ではなさそうだけど.