来年度の授業の件

オンライン授業に関しては従来からこれを積極的に推し進めるべきという論調があったし,今年度,図らずもそれが進展して結果オーライみたいな部分もないではない.しかし,実際には非常にまずい事態が生じている.
 
この流れで,来年度の教育は反転授業個別指導が軸になると思う.それが望ましいからというより,必然的にそうならざるを得ない.そう思うのは,次のような状況だからだ.
 
要するに,教室での授業に比べると,「本当に何も分かっていない」ことがある.低年次かつ数式の操作を伴う正確な理解を要求する科目は駄目である(注1).それはもう全然駄目だ.ただし,何故か?はハッキリとは分からない.
 
彼らは画面の前に居て,一体何を考えているんだろう?(注2)
大方はそれなりに真剣なのである.でも音波の伝わらない真空が間に横たわっているような錯覚に陥る.
 
前期終了時点で,ある程度その状況を感じていたのだが,後期が始まって,ある時実施したテストの結果を見て愕然とし,さすがに何とかせねばならないと考えて,個別指導に切り替えたのである.毎回,課題を提出させるのだが,これを完全に正解するまで何度でも添削して再提出させる.そのやり取りを1日の内に何回もできるのがオンライン授業(と言っても授業時間に関わらず,のべつくまなしなのだが)の特長でもある.何十人もいるので本当にしんどいが.
 
学生によっては,被害者意識すら持っただろうが,これには,さすがに効果があった.
大学生は本来もっと自律的であるべきだと思っているので,かなり疑問に思いつつも,もはや背に腹を変えられないという感じだ.今のところ,これ以外に聞く薬はない.
 
もう一つの反転授業の方だが,デジタルコンテンツが蓄積されたので,一から資料を整備するよりは,かなり敷居が低くなった.家でこれらを使って予習してもらえば,授業時間中は,課題演習+個別指導とでき,多少なりともブラック状態を緩和できるだろう・・・と期待している,というか一縷の望みをつないでいる.
 
 
注1:
科目の性質や,成績評価方法の違いにより,教員の危機感は人それぞれだ.概して言えば,知識を問う科目や文系的な科目ではあまり深刻ではない気がする.
 
注2:
学生を一つの塊で見るべきでないというのが,教育界の末席にいる私なりの理解だ.
集団としての学生は,「無能でひ弱な羊」に見える.衰退国家日本の象徴にしか思えない.しかし,特定の一人か二人でも親しくなると,それなりに芯を持っていて感心したりするものである.残念ながら今年度はそういう機会が少なかった.

自分だけ知らない?

正月早々書かなくても良い話だけど.愚痴初めである.
他人から良い評価をもらうためには,スウィートスポットのようなものにヒットしないといけない,という気がしてならない.
 
そして,多くの人には常識なのに,自分だけがそのコツを知らないのではないか?と心配する.それを人に聞いてみると,とても当たり前のアドバイスをくれはする.だけど,大事なのはそのように言葉にできる部分ではなくて,無意識の自己表現だったり,あるいはもっと広く,諸々のバランス感覚だったりするのではないか?と疑ってしまう.
 
話が一旦それる.
出展はもう不明なのだが,あるテレビ番組の中で紹介されていたオカルト医療のことを思い出した.確かこんな話である.
特殊な能力に目覚めたその医者もどきの若者が,患者を前にして眠り,寝言で処方箋を述べる.出てくる物質は○○酸のような薬品や○○虫の羽根であったりするのだが,それぞれ厳密に分量や摂取のタイミングが決められている.その通りにすると病気が治るというものだ.
おそらく,現代医学の理屈からすれば,それらの物質はでたらめなのだろう.しかし,人間の身体は大まかには誰も同じだが,厳密には一人ひとり異なるし,その時々で異なる化学過程が生じている.だから,複雑なメカニズムのある部分を絶妙なタイミングで絶妙なバランスで精密にコントロールすれば,あるいは,病気が治ることもあるのではないか?
 
要は,雑駁な理論では説明できないノウハウが存在し,自分だけがそれを知らないということもあるのではないか?ということだ.
 
かくして,森光子が若いころに詠んだように「あいつよりうまいはずだがなぜうれぬ」という不遇感を託つ(かこつ)ことになるのである.
 
そんなことを考える前に正直に努力せよ,って話もありますが.
 
後日注:
この精神状態はまさしく怪しい情報商材に引っかかるタイプですね.気をつけんと.

オンライン授業の評判

こういう記事があった.
 
意訳すると,「メディアではコロナ禍のために登校の機会が減って学生の不満がたまっていると言われているが,そういう学生は多数派ではない」とのことだ.
 
メディアがどう言っているか,その全体像はよく知らないが,この調査結果は私の大学での実感とも合う.半年間で彼らはすっかりオンライン授業に適応してしまった.と言うより,一部の学生はその楽さ加減に味を占めたという感じか.そういうとちょっと口が悪すぎるかもしれない.
 
遠い自宅から長時間かけて満員電車で通う学生もいるし,祖父母と同居しているとか,保護者が老人施設に出入りする職業であるとか,コロナ感染を避けることに殊更気を使っている学生が結構いる.それに,これだけ世の中「コロナコロナ」と騒いでいる中で,多数派の大学生が大学に集いたいと思っているはずがない.加えて,少しだけ言いたいことを書かせていただく.
 
(1)いろんな科目で課題を出されるので,それに追われまくって大変だという話
 
良いことではないが,リモート授業の方が単位は取りやすい.だから大変と言うのはちょっと・・なのである.どういうことかと言うと、教室で行う試験以外で公正な成績評価をするのは難しい(注1)という事情による.PCで長文の記述式解答を作成させるという試験形式なら,学生間やネット上の文書との類似性チェックが可能だし,教科書の参照も許可できるかもしれない.しかし,数学や物理のような科目ではそうもいかない(注2).だから,極論すれば「レポート課題を提出したら合格」とせざるを得ず,それでは学力が担保できないから,課題を多く出す,という発想になる.この件には,今のところ唯一無二の正解がない.
 
(2)「提出した課題へのフィードバックがないから不安」という声
 
リンクを挙げた記事では,昔からそういうフィードバックは少ないから,リモート授業とは関係のないことだと書かれている.それもある程度当たっている.ただ,教員にもよる.私の授業では,レポートを添削して,正解するまで何回でも再提出させることにしているので,「フィードバックがないから不安」どころではなく,「なかなかOKをくれない」といってむしろ被害者意識を持っている.どのようなやり方でも不安がったり文句を言う学生はいるということだと思う.
 
 
注1:幸い,私のいる大学では,今回は教室で試験をすることができたので大事には至らなかった.
 
注2:ネットで検索したぐらいで解けてしまう問題なんぞ詰まらない.そんな詰まらない授業をやっとるから日本の大学は駄目なんだ,みたいな批判があるが,きれいごとである.それに海外の大学のことをそれほど知って言ってるのだろうか?Maxwell方程式でもNavier-Stokes方程式でも基本的な運用に独創性を求めても意味がない.誰がやっても解法は似たり寄ったりで,解は普通唯一なので,ネットで検索しても正解できるだろう.しかし,こういう科目において技術屋として身に付けたいのは,検索能力ではなく,世界観と数式の運用能力なのだ.自由な発想とか独創性はその後の話.

プロジェクト失敗のスピーチ

新規事業ばかりを担う事業部に属したことがあった.新しいプロジェクトがいくつか走っていたが,その中の最も大きなものは,家庭排水をどうにかするという製品(敢えて曖昧に書きます)で,会社の本業である機械製造とはかなり離れたものだ.これがどうしても軌道に乗らず,結局,事業部そのものをたたむことになった.原因は頻発する不具合を遂に収拾できず,大手ユーザーから出入り禁止を言い渡されたことだ.これは前代未聞の失態だ.

 

事業部解散が決まった少し後,部員が集まって飲み会を開いたとき,件のプロジェクトリーダーをしていた部長級の人が,スピーチの中で言ったことがこれ.

 

「・・・配管に脂肪酸塩が詰まるという不具合が中々なくなりませんで・・・手を変え品を変え対策を打ってみたのですが・・・ある時,脂肪酸塩って脂肪だろ?じゃあ,加熱すれば溶けて流れるだろうってんで,ヒーターを巻くことにしたんですね.実験もやって品質保証部の〇〇さんにも『ここまでやれば大丈夫だろう』って太鼓判押してもらって,送り出したんですが,実は『脂肪』じゃなくて『脂肪酸塩』だったって落ちなんですわ・・・これは簡単には溶けません!!・・・いやはや・・・」

 

これを聞いて,文字通りめまいがした.なにそれ?部長の思い付きがとどめだったの?
プロジェクト末期にはグループの雰囲気がかなり悪くなっていたことは知っていたので,ほんとに裸の王様だったんだなあ・・くらいの感想を抱いたものだった.

 

にしてもである.この間違いに気づくチャンスは余りにも多くあった.現場からサンプルを採取・分析した技術者や部長の指示で「脂肪」の実験を担当した技術者は言わずもがな,切れ者で通っていた部長自身も固唾を飲んで見守っていたのだから違和感を感じるはずだ.要するに,事業を終わらせるための一種の狂言だったのではないか,と思うわけである.

 

事業部が解散されても部員が失職するわけではないから,成功の見込みがない部署から解放してやろう,と部長は思ったのだろう.あるいは,事業を無理やり継続する場合の部員の会社員人生を背負う重圧には耐えられない,と思ったのかもしれない.だから,最も揉めない方法として自爆したというのが今の私の推測なのである.

これでもうまくいけば,VHS開発秘話みたいになったのだが,現実はそう甘くない.

オンライン授業とその愚痴


 今年はコロナ禍のため,学生たちは前期キャンパスに来れなかった.その後,一時,コロナ禍より前の授業形態になったものの,第3波のために再び,学生が在宅で受講する所謂リモート授業になった.

 リモート授業のやり方はいくつかあり,課題を与えておき自習させるというものもあれば,ZoomやTeamsを使ったオンライン授業もある.私の科目は後者だ.オンライン授業の悲喜こもごもがあるが,とりあえず二つ報告,というか愚痴を書かせていただきたい.

(1)オンライン授業だと学生は,驚くほど教員の話を聞いていない.

クラスには普通数十人いるので,全員が顔を配信するとアプリがまともに動かなくなる.だから,通常,学生側のカメラはオフにしてもらう.学生としても,わざわざ他人に姿を見られたくないので願ったり叶ったりというわけである.ログインだけして寝ているということもあり得る.なぜ,わかるかというと,早めに授業が終わり,多くはログアウトしても,幾人かはいつまでも残っているから.

 そうは言っても,確信犯的に空出席する人は少数派で,多くはPCの前で受講してはいる.ただ,なぜだかわからないが,対面授業の場合よりも圧倒的に,右から左に抜けていることが多い.理解度云々ではなく,単純にスルーしているようなのだ.これは,簡単な連絡事項が中々周知されないことからわかる.対面授業において,受講者の反応を見て話し方を変る効果は,自分が思う以上に大きいのかもしれない.

 それにしても,授業料を払っているのだし,もう少し意識を授業に向けてもいいんじゃないか?前期の間,大学に来れなかったことは気の毒だと思う.同士が集まる場を提供するというのも大学の機能であって,その部分が欠けたのだから,授業料返せというクレームが来てもおかしくはないが,差し当たり,そういう流れになっていないので,ほっとしてはいる.しかし,残された大学の機能であるところの,授業コンテンツを積極的に消化しようとしないのでは,こちらの申しわけなさも減殺されるというものだ.(注)

 

(2)オンライン授業を始めた当初は,データ通信量が少しでも減ることを期待して,自分のPCのカメラをオフにしていた.つまり,資料の画像と声だけを配信していたのだ.だが,以上のように,話が通じていないことが分かり,せめてもの対策として,こちらの顔を見せることにした.その方が,「人から話されている感じ」がして良く聞くようになるよ,というある先生のアドバイスに従ったのだが,まあ,効果があったとは思えない.

 ところで,授業は,通信状態の悪い学生に配慮して,録画したものを後で公開することになっている.だから,授業動画を編集する.自分の顔が資料の横に延々と表示されるのを見るのは,いい気持がしない.と言うか,それほど長時間にわたって自分の表情を眺めるという経験は人生初である.その結果,自分の目つきが結構悪いことに気づいてしまった.最近,老眼が始まったので,目を凝らす癖が付いたからだろう,と思っていたのだが,そのことを妻に話すと「性格が悪いからじゃない?」と言う.冗談だと思って笑っていたのだが,その言葉は,後からじわじわと効いてきた.

 確かに,目の問題だけなら,しょぼしょぼと目を瞬かせるとか,目を剥くとか,色々ありそうだが,私の場合,ふとした瞬間に嫌な表情が差し込んでくるという感じがするのだ.自己イメージは「お人好し」なのだが,知らぬ間に捻くれてしまったのか,それとも,授業で何度も同じ話をせねばならないことに嫌気がさしているのか・・・両方だろう.


注:

 授業が詰まらんからだという批判もあるだろう.そんな時「詰まる」授業の代表として,マイケル・サンデル教授の白熱教室なんかが想定されているわけだが,彼の授業はある意味,おいしいとこ取りなのである.無論,討論会を盛り上げるにはそれなりのスキルと卓越した見識が必要だろうが,基礎知識を叩き込むタイプの科目では,あんな授業にはならない.

 「知識の詰め込み」は不要にはならない.私が今ぼやいている件の科目は,エンジニアになるための基礎を作るためのもので,文章を書くために漢字の書き方を練習するに匹敵する.要するに地味な作業でつらい場合もあるが,それが不要になるのは,人類がAIに食わせてもらうだけの存在になったときだろう.

 

男女平等についてのもやもや

こういうことがあった.
 
新しく女の先生が近々着任されるというタイミングだった.
学内の何かの立食パーティーでその話題になり,かなり位の高い人が「優秀な人だから尻に敷かれたらいいんですよ」と言う.
 
私は,こういうことを言う人が信用ならない.一見すると女性差別しないことをアピールしているようだが,実は「女は黙っとればいいんだ」という本音を無意識に隠そうとしているような気がしてしまう.あるいは,女性を宣伝の道具に思っているようでもある.もう少し穿ってみると,男女平等というより,女性崇拝に近い考えを持ち,職場の女性に母性を求めるような傾向も感じる.いずれにしても,一人の同僚を迎えるための心構えとしては色がつきすぎなのだ.
 
表題のもやもやはもっと他にもあるが,他の機会にぼちぼち書いてみたいと思います.

未来の暗示

占い好きというわけではないが,細木数子に関して少し思う所がある.テレビ番組でホリエモンと対談していたのを覚えていたので,少し調べてみたら,以下の記事が出てきた.

-----------以下引用-------
https://akio1.exblog.jp/44562/

ゆうべフジの25時間テレビをみてて思ったことを簡単に・・・

ライブドア堀江社長細木数子の対談の様子がどうも気になった。
堀江氏には大変申し訳ないが、私は倒産寸前の会社の社長が怪しい占い師に「うちの会社大丈夫だよね?」と追いすがっているという印象を受けてしまった。
彼は自社の株価について「今457円(だったかな?)だけど倍にしてみせる!」と強調して見せたり、細木にやり方によっては5倍になるかもとも言われると急に「絶対に5倍になるンですよね!」と言う態度を見せた。
----------引用終わり-------

 

多分,私が覚えているのはこれだ.2005年の25時間テレビだそうだ.さらに,2006年元旦の生放送中の対談では,細木数子ホリエモンに対し「「あんたの背中には龍がついているよ」と言ったそうだ.二人はこのころ,少し親交があったのだろう.そして,その後,証券取引法違反の疑いで逮捕されている.

 

このエピソードを,細木数子の占いが外れた,と解釈することもできるけど,どちらかというと,ホリエモン細木数子心理的に乗せられたという側面が強い気がする.当時,彼女はいろんな番組に出ていた.それらの番組の一つを何気なく見ていたら,六星占術の講座みたいなのがあった.自分が何星人なのかを調べる方法の解説があり,その後,その運命を細木数子が述べるという企画だったと思う.私も自分の星を調べ,彼女の宣託を聞いていたら,全然良くないのである.「願いは何一つ叶わない」とでも言われた気がする.この時,何か,自分の胸の中に黒い染みが広がっていくような薄気味悪さを感じて,慌ててテレビのスイッチを切った.これ以上聞いていたら本当に彼女の言うとおりになってしまう気がしたのだ.

 

この経験から,細木数子の占いは,未来を当てるというより,占った方向に導いてしまう,というものに近いのではないか,と思ったのだった.一種の暗示効果である.

 

暗示効果と言えば,話は飛ぶが,実現したいことをノートに書きつけておけば本当に実現するという話がある.2005年当時,ある技術(仮に技術A)の研究を始めていた.具体的には説明できないが,○○性能を10倍以上にしなければ実用化できないと考えられていた.そこで,私は,ノートに「1年後,○○性能が△△以上を達成する」という意味のことを書いてみた.そう簡単にできることではなく,ノートのこともしばらく忘れていたが,2007年早々に別の技術Bと組み合わせる方法で,本当に△△を達成してしまったのであった.これには,ボスも大喜びし,その後,かなり大きな補助金を獲得する助けにもなったのだが,まさに肝である技術Bがネックとなって実用化できなかった.

 

ここで,一つ教訓を得た.うまく手順を踏んで自分(あるいは他人に)暗示を与えれば,未来を思い通りに導くことはできる.ただし,望ましい形でそれが実現するとは限らない.ドラえもん笑うセールスマンのように,願いが叶うことと,幸福になることは違うというストーリーを連想する.

 

ホリエモンに話を戻すと,細木数子からどんどん行けると太鼓判を押されて,その予言に沿うように無意識に行動した結果が,粉飾決算だったのではないか.

 

ホリエモンの話は正確ではないので,間違っていたら引っ込めますが,以上のようなことを思った次第.