島田紳助

枕営業の告発をされたことは,もうあまり話題に上らなくなった。でも思い出したので,島田紳助のことをつらつらと書きたい。ファンでもアンチでもなく,少し嫌いという程度。

 

古い話だが,自分にとっては,紳助の人間マンダラ

紳助の人間マンダラ - Wikipedia

という番組が彼を象徴している。この番組の「愛のデートマンダラ」というコーナーは,「モテナイくん」と呼ばれる風采の上がらない男性が彼女を作ろうと奮闘する様子を面白おかしく取り上げるという内容だった。テレビの力を借りて街でナンパさせるところから始めて,何とか会話に持ち込ませるのだが,上手くいくはずがない。無論,上手くいかないことを見越してお笑いに変えているのだった。多分,斬新な趣向だったと思う。まだ半分子供だった私は何回かは単純に喜んで見ていたものの,自分自身が色々と経験を積むにしたがって,心に引っかかる部分が膨らんだ。

 

「モテナイくん」には,一風変わった人が目に付いた。女のマネキンに服を着せる(脱がせるだったか?)という気持ち悪い芸を披露する人もいた。高学歴かつ変人である場合も多かった。その方が揶揄しやすいので積極的に採用したのだろう。

・・・なぜのこのこ出演しに来たのか,というのは謎だが。

 

紳助の考えでは,彼らは親に甘やかされてきたからそうなった,とのことだった。高学歴の場合は,それにプラスして勉強だけさせられて良い子良い子されてきた,という感じか。紳助がプロデュースしたモテナイくんの歌にそういう歌詞があった。

 

変人を変人として面白がるのならまあ許せるというか私は好きなのだが,生い立ちまで勝手に想像して馬鹿にするのはどうか。(率直に言ってアスペルガー症候群的な傾向が見られたので,そうなったのは教育の問題ではないだろうし,現代なら面白がるだけでも許されないだろう。)

 

共演していたオール巨人(※)や掛布が紳助の考えに同調して盛り上がるのが,如何にも醜悪だった。「男は厳しく世間にもまれてこそ一人前」・・その考えは一理あるが,自分たちをそういう意味で上等の方に位置付けて,事実かどうかも分からんのに言いたい放題ってのはいじめの構図だ。大体,世間にもまれてもモテるようにはならないのに,論点がずれている。

 

紳助のそういう考え方は,オール巨人や掛布と言った大御所には抗し難かったと思われる。「世間の荒波に打ち勝って成り上がった」ということが,確実にアイデンティティの一部なのだから。そこをくすぐって,大御所たちを手玉に取り,手玉に取っているということを広く知らしめることで,子分をも従えて番組を独裁する,ということをやってのけていたわけだ。

 

国際政治の舞台で活躍して欲しかった気はする。つい悪に手を染てしまい,結局は大物にはなれないのかも知れないが。賢くてある程度成功するものの,何か深層心理がリミッターを掛ける感じがする,という人だ。すでにそうなっているしね。

 

-----

と,ここまで書いてきて別の番組を思い出した。確か沖縄かどこかの離島で若手芸人を引き連れて何かをやるという企画だったのだが・・・あまりにも曖昧なので調べてきまらこれだった。

紳助の「プロデュース大作戦!」目玉企画 宮古島の民宿「夢来人」存亡の危機 - ライブドアニュース

これも何回かは見た。企画の趣旨は実益のあるものだけど,それとは別に,いい加減なことをやらかした若手芸人をこっぴどく叱責し,良い話の説教をして泣かせ,這い上がってこさせるという,美談風の場面があり,多分,こういうところが見どころだと思われた。

 

このパターンは,もっと昔に彼が監督をした「風、スローダウン」

風、スローダウン - Wikipedia

という映画のメイキング映像にもあった。確か西川忠志西川きよしの息子)が「お前いつまでもボンボンとか言われて悔しないんか」という意味の事を言って奮起させたり,スタッフを叱責して映画を真剣みのあるものにしたりというところが印象に残っている。

 

人情味のある教師役というのが,若いころに確立した定番スタイルなわけだ。しかし,近年では,「一旦,突き落とす」という部分がパワハラ的と取られる可能性が高い。実際,ブラック企業の洗脳の手法でもある。芸人が太っていることを自らを笑いにしている場合でさえ,それをイジることを批判される風潮になったのは,紳助の予想を超えていたのではないか。早めに引退して良かった。

 

※後日調べたら同期だった.なんだ.内輪か.