見世物小屋
ちょうどリンク先の写真のように,
看板に「うしおんな」の絵が描かれてあったのを覚えている.中では障害のある人が何かの芸をしていたようだ.断言できないのは自分では中を見ていないからだ.私の子供時代(昭和50年代)には,そういうものをあっけらかんと見るという雰囲気はすでになかった.
この種の見世物小屋に心が引っかかるのはなぜか?言うまでもない.自分の中の卑しい部分を覗かねばならないからだ.身体障害=不幸だと単純に考えることが間違いだということを理解はできる.しかし,障害者自身が言う「幸せ」が,五体満足な人間が言う「幸せ」と同じ次元のものだとはどうしても思えない.いかに理屈をこねようとも,自分の四肢を失うことは不幸だと素朴に思う.そう思うことは障害者の幸せを否定することになるのだろうか?