維新当選
知事も市長も大阪維新の会となった.
辰巳拓郎は立候補を断って良かった.
https://eiga.com/person/45657/
もし知事選に出ていたら,府市ともに顔の似た者どうしで落選という滑稽なことになり,俳優人生にケチがついたろう.
ご入学
入学式があった.ひとまずおめでとうございます,と申し上げます.
ところで,入試に受かることの意味を少し考えてみた.あくまで個人的な考えで,法律に明記されたことではない.それに,書こうとしてナンだが,完全に納得しているわけでもない.でも,敢えて書いてみる.
次の二つの意味が含まれる気がする.
(1)我が校で勉強する能力があると認める
(2)我が校で勉強する権利を与える
(1)-->(2)という流れではあるんだけど,それぞれ独立した意味もあって突き詰めると2つは全然違ってくる.
多分,日本では(1)の意味合いが強い.だから,「どの大学に入学したか?」へのこだわりが,「学位を持っているか?」よりも強いのだ.そして,まじめに考えれば考えるほど,「入学させた以上,卒業させることが大学の責任だ」という考えに行きつく.なぜなら,能力を大学が認めたのだから.
どうしようもない学生を放っておくことは大学の責任放棄となり,不合格を出しすぎた教員は,お叱りを受ける.近年では特に,成績不振学生と保護者を交えて面談をするとか(ほとんど効果はない),落ちた人向けの授業をする(人によっては何とか合格してくれる)などの努力を「教員が」する.
(2)の方向で考えていくと,例えば,東大が,貧困家庭の生徒について合格基準を下げるなどの措置もあり得る.チャンスをやるからここで頑張って社会的に成功してくれ,ということだ.努力は「学生が」する.だが,今の世間の雰囲気ではあり得ないだろう.
学業と就職
学生の就職支援がらみで,ある企業を訪問して人事担当者と会ってきた.こういう仕事は多分私立大学に限ったことだろう.わが校の学生に内定を下さってありがとうございます・次年度のご採用スケジュールはどんなもんでしょうか?という具合である.話してみないとわからないこともあるので,それなりに重要な仕事である.
さて,一応,どんな人材が望ましいか?という質問をすることになっている.特徴的な回答はめったにない.「積極性と協調性があって・・・つまりコミュニケーション能力があるということですね・・・学業成績は特に見ません」という答えは,よくあるものだ.「通り一遍ですが」と担当者も言っていた.
「学業成績は見ない」ということを,大学教員の前で悪びれもせず言う.冷静に見れば,おかしな話だ.それどころか,「バカでも採りますのでご安心ください.はっはっは」という馴れ合いのニュアンスさえある.ただ,話を聞いている私自身が,さもありなんと自然に聞いてしまうのである.情けなや.(さすがに「ただのバカ」という意味ではないことくらいは分るけど)
学業がどうでもよいなら高卒者を採ればよいではないか,と思うが,それは具合が悪いのだろう.