死んだあと

仏壇屋の前を歩いていたらちょっと気持ち悪いことを考えてしまった.

 

昨今,AIを搭載した家電のコントローラがあるけど,もっと性能が良くなり,しかも何十年も家族の会話を聞かせていたら,本人がいなくても会話が成立するくらいにはなるだろう.それだけでなく,ブログやSNS,生前に書いた文書の類を全部読み込ませると,本人のものの考え方も再現できるようになるかもしれない.

それを仏壇に搭載する.家族が亡くなってもまるで本人がいるような感じで仏壇と会話ができる.いやいや,もっと言うと相談や重要な決断を任せることもできるようになるだろう.これは遺族にとって良いことだろうか?

今の私には拒否感がある.故人は過去の人となり少しずつ記憶が風化していくのが良い.そっくりだがまがい物の人格など気持ち悪いだけだ.しかし,こういう技術が当たり前になってくると,人々の感覚も変わってくるかもしれない.となると,遺族にとっての死の意味はこれまでとはかなり変わってくる気がする.

 

死ぬ方にとってはどうなんだろう?自意識が亡くなってしまうことには違いないので,死が避けたいものであることに変わりはないと思う.でも,自分の死後,家族が自分そっくりの会話をするAIとともに生活することについては,何か嫌な感じを覚える.

 

死ぬことによって自意識が亡くなると書いたが,どう足掻いてもそうなのか?

例えば,生前に記憶や思考を助けるチップを脳に埋め込んでおいたとする.生きている間から,電子回路による情報処理が意識の一部になってこないだろうか?自意識の生成機能というものがあると仮定して,その機能が電子回路の方に転移していくという現象は本当に起こらないだろうか?

 

この辺で止めておきます.