オンライン授業とその愚痴


 今年はコロナ禍のため,学生たちは前期キャンパスに来れなかった.その後,一時,コロナ禍より前の授業形態になったものの,第3波のために再び,学生が在宅で受講する所謂リモート授業になった.

 リモート授業のやり方はいくつかあり,課題を与えておき自習させるというものもあれば,ZoomやTeamsを使ったオンライン授業もある.私の科目は後者だ.オンライン授業の悲喜こもごもがあるが,とりあえず二つ報告,というか愚痴を書かせていただきたい.

(1)オンライン授業だと学生は,驚くほど教員の話を聞いていない.

クラスには普通数十人いるので,全員が顔を配信するとアプリがまともに動かなくなる.だから,通常,学生側のカメラはオフにしてもらう.学生としても,わざわざ他人に姿を見られたくないので願ったり叶ったりというわけである.ログインだけして寝ているということもあり得る.なぜ,わかるかというと,早めに授業が終わり,多くはログアウトしても,幾人かはいつまでも残っているから.

 そうは言っても,確信犯的に空出席する人は少数派で,多くはPCの前で受講してはいる.ただ,なぜだかわからないが,対面授業の場合よりも圧倒的に,右から左に抜けていることが多い.理解度云々ではなく,単純にスルーしているようなのだ.これは,簡単な連絡事項が中々周知されないことからわかる.対面授業において,受講者の反応を見て話し方を変る効果は,自分が思う以上に大きいのかもしれない.

 それにしても,授業料を払っているのだし,もう少し意識を授業に向けてもいいんじゃないか?前期の間,大学に来れなかったことは気の毒だと思う.同士が集まる場を提供するというのも大学の機能であって,その部分が欠けたのだから,授業料返せというクレームが来てもおかしくはないが,差し当たり,そういう流れになっていないので,ほっとしてはいる.しかし,残された大学の機能であるところの,授業コンテンツを積極的に消化しようとしないのでは,こちらの申しわけなさも減殺されるというものだ.(注)

 

(2)オンライン授業を始めた当初は,データ通信量が少しでも減ることを期待して,自分のPCのカメラをオフにしていた.つまり,資料の画像と声だけを配信していたのだ.だが,以上のように,話が通じていないことが分かり,せめてもの対策として,こちらの顔を見せることにした.その方が,「人から話されている感じ」がして良く聞くようになるよ,というある先生のアドバイスに従ったのだが,まあ,効果があったとは思えない.

 ところで,授業は,通信状態の悪い学生に配慮して,録画したものを後で公開することになっている.だから,授業動画を編集する.自分の顔が資料の横に延々と表示されるのを見るのは,いい気持がしない.と言うか,それほど長時間にわたって自分の表情を眺めるという経験は人生初である.その結果,自分の目つきが結構悪いことに気づいてしまった.最近,老眼が始まったので,目を凝らす癖が付いたからだろう,と思っていたのだが,そのことを妻に話すと「性格が悪いからじゃない?」と言う.冗談だと思って笑っていたのだが,その言葉は,後からじわじわと効いてきた.

 確かに,目の問題だけなら,しょぼしょぼと目を瞬かせるとか,目を剥くとか,色々ありそうだが,私の場合,ふとした瞬間に嫌な表情が差し込んでくるという感じがするのだ.自己イメージは「お人好し」なのだが,知らぬ間に捻くれてしまったのか,それとも,授業で何度も同じ話をせねばならないことに嫌気がさしているのか・・・両方だろう.


注:

 授業が詰まらんからだという批判もあるだろう.そんな時「詰まる」授業の代表として,マイケル・サンデル教授の白熱教室なんかが想定されているわけだが,彼の授業はある意味,おいしいとこ取りなのである.無論,討論会を盛り上げるにはそれなりのスキルと卓越した見識が必要だろうが,基礎知識を叩き込むタイプの科目では,あんな授業にはならない.

 「知識の詰め込み」は不要にはならない.私が今ぼやいている件の科目は,エンジニアになるための基礎を作るためのもので,文章を書くために漢字の書き方を練習するに匹敵する.要するに地味な作業でつらい場合もあるが,それが不要になるのは,人類がAIに食わせてもらうだけの存在になったときだろう.

 

男女平等についてのもやもや

こういうことがあった.
 
新しく女の先生が近々着任されるというタイミングだった.
学内の何かの立食パーティーでその話題になり,かなり位の高い人が「優秀な人だから尻に敷かれたらいいんですよ」と言う.
 
私は,こういうことを言う人が信用ならない.一見すると女性差別しないことをアピールしているようだが,実は「女は黙っとればいいんだ」という本音を無意識に隠そうとしているような気がしてしまう.あるいは,女性を宣伝の道具に思っているようでもある.もう少し穿ってみると,男女平等というより,女性崇拝に近い考えを持ち,職場の女性に母性を求めるような傾向も感じる.いずれにしても,一人の同僚を迎えるための心構えとしては色がつきすぎなのだ.
 
表題のもやもやはもっと他にもあるが,他の機会にぼちぼち書いてみたいと思います.

未来の暗示

占い好きというわけではないが,細木数子に関して少し思う所がある.テレビ番組でホリエモンと対談していたのを覚えていたので,少し調べてみたら,以下の記事が出てきた.

-----------以下引用-------
https://akio1.exblog.jp/44562/

ゆうべフジの25時間テレビをみてて思ったことを簡単に・・・

ライブドア堀江社長細木数子の対談の様子がどうも気になった。
堀江氏には大変申し訳ないが、私は倒産寸前の会社の社長が怪しい占い師に「うちの会社大丈夫だよね?」と追いすがっているという印象を受けてしまった。
彼は自社の株価について「今457円(だったかな?)だけど倍にしてみせる!」と強調して見せたり、細木にやり方によっては5倍になるかもとも言われると急に「絶対に5倍になるンですよね!」と言う態度を見せた。
----------引用終わり-------

 

多分,私が覚えているのはこれだ.2005年の25時間テレビだそうだ.さらに,2006年元旦の生放送中の対談では,細木数子ホリエモンに対し「「あんたの背中には龍がついているよ」と言ったそうだ.二人はこのころ,少し親交があったのだろう.そして,その後,証券取引法違反の疑いで逮捕されている.

 

このエピソードを,細木数子の占いが外れた,と解釈することもできるけど,どちらかというと,ホリエモン細木数子心理的に乗せられたという側面が強い気がする.当時,彼女はいろんな番組に出ていた.それらの番組の一つを何気なく見ていたら,六星占術の講座みたいなのがあった.自分が何星人なのかを調べる方法の解説があり,その後,その運命を細木数子が述べるという企画だったと思う.私も自分の星を調べ,彼女の宣託を聞いていたら,全然良くないのである.「願いは何一つ叶わない」とでも言われた気がする.この時,何か,自分の胸の中に黒い染みが広がっていくような薄気味悪さを感じて,慌ててテレビのスイッチを切った.これ以上聞いていたら本当に彼女の言うとおりになってしまう気がしたのだ.

 

この経験から,細木数子の占いは,未来を当てるというより,占った方向に導いてしまう,というものに近いのではないか,と思ったのだった.一種の暗示効果である.

 

暗示効果と言えば,話は飛ぶが,実現したいことをノートに書きつけておけば本当に実現するという話がある.2005年当時,ある技術(仮に技術A)の研究を始めていた.具体的には説明できないが,○○性能を10倍以上にしなければ実用化できないと考えられていた.そこで,私は,ノートに「1年後,○○性能が△△以上を達成する」という意味のことを書いてみた.そう簡単にできることではなく,ノートのこともしばらく忘れていたが,2007年早々に別の技術Bと組み合わせる方法で,本当に△△を達成してしまったのであった.これには,ボスも大喜びし,その後,かなり大きな補助金を獲得する助けにもなったのだが,まさに肝である技術Bがネックとなって実用化できなかった.

 

ここで,一つ教訓を得た.うまく手順を踏んで自分(あるいは他人に)暗示を与えれば,未来を思い通りに導くことはできる.ただし,望ましい形でそれが実現するとは限らない.ドラえもん笑うセールスマンのように,願いが叶うことと,幸福になることは違うというストーリーを連想する.

 

ホリエモンに話を戻すと,細木数子からどんどん行けると太鼓判を押されて,その予言に沿うように無意識に行動した結果が,粉飾決算だったのではないか.

 

ホリエモンの話は正確ではないので,間違っていたら引っ込めますが,以上のようなことを思った次第.

精神科医は腹の底で何を考えているか

読書家というほどではなく,書評みたいなことを書くのは恥ずかしい.だから,ごく個人的な感想を書いてみる.

 春日武彦著,「精神科医は腹の底で何を考えているか 」(幻冬舎新書)

である.フィーリングの合う本とか興味を惹かれる本とかは,これまでにもあったのだが,感動する本に出合ったことはほぼなかった.だから,この本も最初はせいぜい題名に惹かれて興味本位で読み進めていたのだが,読み終わってみると静かに感動していたのだ.これには自分でも少し意外な感じがした.とは言うものの,しばらくはそれっきりだった.

 

その後,組織の中での自分の扱いをめぐって,一々腹を立てたり落ち込んだりして(かといって誰かに心情をぶちまけるということはなく),とても苦しかった時期があり,ある時,何の気なしに読み返してみると,感動したポイントが浮き彫りになったのだ.

 

それは,慢性的な精神病患者を入院させるという場面だった.最初,患者は自分の精神が変調を来しているということを認めたがらず,入院に抵抗する.医者(=おそらく著者)は,いきなり強引に入院させるでもなく,のらりくらりとやり取りをして,しかる後,タイミングを見計らって入院に追い立てるとすんなり事が運ぶ.たとえそのやり方が効率的でなくても,患者のメンツを立ててやることが秘訣だというような内容だったと思う.

 

精神を病んでいても,なお,人は自分の小さなプライドに固執し振り回される.つまり,このプライドなどというものは,人間が共通に持っている業のようなものなんだろう.こりゃあ,一生付き合っていくしかない,そしてその向き合い方は,のらりくらりで良い,否,のらりくらりこそが正しいやり方なのだ,と思えたのだ.その思いがジワジワと勇気を運んできた,という感じだったと思う.

バーチャル安楽死

バーチャルリアリティ技術が発展する先には,人間の感覚をもっと直接に刺激する・・例えば脳を刺激して本当に別の世界に居るような感覚を人為的に引き起こすことが可能になるに違いない.

 

これは,死期の近い人への緩和ケアに威力を発揮するだろう.しかし,本当に死が近く意識の力も弱まっている状態で,バーチャルリアリティの世界を延々と見せられたら,当事者にとっては,生と死の境目が重要ではなくなってくるんじゃないだろうか.

 

そうなってくると,「緩和ケア」と人為的な「安楽死」との間の境目もあいまいになってくる.今のところ,多くの人はそのようなことに倫理的な問題を感じそうだ.しかし,高齢者比率がどんどんと高くなっていくと,なし崩し的に,安楽死することにもさせることにも抵抗がなくなっていくだろう.まさに,団塊ジュニアである著者が後期高齢者になるころには.

しっぽを見た

マスコミの伝え方の問題もあるだろうが,政府の感染症対応には,手際が良いという印象は受けない.一方,ドイツやニューヨークはいかにも思い切った対策を強いリーダーシップの下に実行している.

 

しかし,結果は日本の圧勝なわけだ.東アジアの中で日本が特に優れているわけではないが,例えば,日本よりも低い死亡率を実現している韓国の場合は,多量のPCR検査とプライバシーに踏み込んだ追跡の結果だし,人口当たりの感染者数は,欧米>>日本>韓国であって,結局,k防疫などという割にあまり日本と違わない.これは第一波が終わった時にも言われたことだが,第二波も何とか乗り越えつつあり,この傾向は定着した感がある.

 

防疫に関する日本の指導者の顔はよく見えない.いるのに隠れているのではなく,「指導者」という明確な中心は存在しないのかも.保健所の人たちが地道にクラスターつぶしをやり,そのやり方が相当的確だというこのなのだろうか.

 

だとすると,以前から言われている「日本の現場力」というものは,幻想でもないし,衰えてもおらず,結構うまく機能しているということだ.日本社会を動かす原動力のしっぽを見たという気持ち.ただまあ,現場で持ちこたえるというやり方が良いかどうかは別問題だけど.

 

 

死んだあと

仏壇屋の前を歩いていたらちょっと気持ち悪いことを考えてしまった.

 

昨今,AIを搭載した家電のコントローラがあるけど,もっと性能が良くなり,しかも何十年も家族の会話を聞かせていたら,本人がいなくても会話が成立するくらいにはなるだろう.それだけでなく,ブログやSNS,生前に書いた文書の類を全部読み込ませると,本人のものの考え方も再現できるようになるかもしれない.

それを仏壇に搭載する.家族が亡くなってもまるで本人がいるような感じで仏壇と会話ができる.いやいや,もっと言うと相談や重要な決断を任せることもできるようになるだろう.これは遺族にとって良いことだろうか?

今の私には拒否感がある.故人は過去の人となり少しずつ記憶が風化していくのが良い.そっくりだがまがい物の人格など気持ち悪いだけだ.しかし,こういう技術が当たり前になってくると,人々の感覚も変わってくるかもしれない.となると,遺族にとっての死の意味はこれまでとはかなり変わってくる気がする.

 

死ぬ方にとってはどうなんだろう?自意識が亡くなってしまうことには違いないので,死が避けたいものであることに変わりはないと思う.でも,自分の死後,家族が自分そっくりの会話をするAIとともに生活することについては,何か嫌な感じを覚える.

 

死ぬことによって自意識が亡くなると書いたが,どう足掻いてもそうなのか?

例えば,生前に記憶や思考を助けるチップを脳に埋め込んでおいたとする.生きている間から,電子回路による情報処理が意識の一部になってこないだろうか?自意識の生成機能というものがあると仮定して,その機能が電子回路の方に転移していくという現象は本当に起こらないだろうか?

 

この辺で止めておきます.